ねずみ王国の最後

20日締め切りの原稿があったので(おお締め切りなんて何年ぶりだろう)、すこし根を詰めて一気に書こうと17日からすこし夜遅くまで学校にいることにした。その日は昼ごろから雨が降っており、嫌な天気ではあったけれど、まあ3日しかないのでそんなことも言っておれない。必要なテクストに目を通したのでまあそろそろ書き始めるかと思ったのが夕方ごろ。ぽたぽた音がするので、窓を見ると、窓際の天井から雨漏りがしていた。
エチゼンに言われてときどき思い出したら見るようになった報道ステーションで、関空の開発で壊滅した泉佐野で、一方にはピカピカで巨大な市民ホール(結局はゼネコンや銀行に食い逃げされたようなものだが)、他方に窓ガラスの割れた学校という対比が紹介されていたが、この大学も似たようなもの。壁はあちこちで剥落をおこし、頭にでもあたれば大惨事なのだが、こちらから言い出すまで手を出そうとしない。入試の前にははがれた部分をたたいてわざと落下させたりして、最低限の『安全』管理をしたりする。
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ところで報道ステーションのむかしひょうきん族にでていたアナウンサーはよくなったね。勉強した感じがする。なんというか同世代や、その下の世代のフジのアナウンサーとは差がついたなあ。
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体育館の天井にある1.5m四方ぐらいの断熱材が雨漏りのために水を吸って落下したことがあったが、落ちてきたそれは大人が持ち上げようとしても持ち上がらないほどの重さだった。さすがになんとかしろと申し入れをしたところ、しかし責任者がまず最初にいうことが、いや予算が・・・。(すべての人がこうではなく、その人のキャラクターもある。念のため。)
とりあえずの「応急処置」をしたらしいのだが、翌年また落ちた。さすがにこのときは組合でねじ込んだのが、同じような案配。腹が立って頭越しに本庁と交渉したらさすがに迅速に対応した。合理化と言えばそういうところの修繕をケチるということから始めるのが、まあ大学のような面白みの少ない職場に送り込まれるお飾りさんの真っ先に考えることだ。
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しかし大阪は安全都市宣言だかなんだかしらないけれど、ちかごろ各部局ごとに安全衛生委員会なるものを設置して、やたらと長い会議をしだした。やれ長時間モニターを見続けると健康被害が出るのでその責任者を決めろだとか(まだ意味がないわけではないが)、あげくの果てにはバイオテロが発生したらどうするか、を1時間かけて資料読まれたときにはさすがに切れた。バイオテロ心配してる内に天井落ちてきて死んだらさすがに冗談にもならない。ので、今年は徹底的にやってみたら、出るわ出るわ、避難器具のない建物、空っぽの避難器具箱、地面に届かない避難梯子、届いても古すぎて、危険なうえに重くてとても女性には持ち上げられない避難器具と、惨憺たる有様。そういえば教室の天井からぶら下がっている巨大なテレビが落下したこともあったな。幸い下に学生はいなかったが。(安全過剰時代の不安全という、笑うに笑えないありさま。天井落ちて人死んだらどうするんだろう。学生のPTSDに対処するため、心のケアの予算がつくんだろうか。ああきっとそれもボランティアで済ますのかな。)
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ふつうは研究者がこういうことに鈍感なのを事務局がやきもきして心配するという図式なのだろうが、ここでは、まったく反対になっている。『何か』が起こるまで手を打たないのが公務員らしいが、まあ今年は徹底的に指摘したので、何か起これば責任ははっきりするはず。
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死んだらなんかするんじゃないですか、とはまあ職員がオフレコでよくいうことだが、そういうことを言ってる奴が、人がひとり死んだらどれだけ大変かわかっているかどうか。
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とまあそんな愚痴を言うのが趣旨ではなく、こういうわけだからきっと壁にクラックでもあって、そっから水が染み込んでくるんだろうと思って原稿を書いていたら、別の場所からも漏れだした。さすがに困ったので本を移動したり、どたばたやって、また原稿に向う。しかし水の落ちるペースがどんどんあがってくる。おかしいと思って天井を見ていると、また別の場所からも。さすがにこれはおかしい。水の滲み出す箇所がどんどん増えてくる。ファイルをバックアップして、コンピュータをシャットダウン。王立研究室は二階なので、おそるおそる三階に上がる。それがだいたい夜の8時頃。真上のAさんの研究室の前に行くと、廊下に水が溢れ出しており、扉の向こうではざーざーというありえない音がしている。一瞬水道管が出しっ放し?あるいは破裂したのか?と思ったが、そんな生易しい音ではない。慌てて守衛室に電話して来てもらう。運の悪いことに一番管理したがりで、強圧的な人(警察官あがりではないか、と邪推しているんだが)。あんのじょう反応が鈍く、うだうだいうのを無理に来てもらう。えらく長いこと待ってやっと到着。さすがに扉の隙間から廊下に吹き出ている水を見て、驚いていた。
扉をあけて電気をつけたら、なかはタルコフスキーの映画のようだった。